私は、失敗して挫折ばかりの人生を歩んできました。
「あーどうして、私は、挫折ばかりしちゃったのだろう?」と苦々しく思っていました。
でも、それは《経験と感動を積んだ人生の宝物》なのだと、ようやくポジティブに捉えられるようになりました。
これは、江原啓之さんが、常日頃仰っている言葉の影響です。
普段私は、江原さんのラジオを聴いたり、著書を読んだりしています。
その影響が、じわじわと染み渡るように、効いてきました。
以前のブログに、『挫折だらけの人生。それでも私は生きている』という記事を書いたことがあります。 削除する予定のブログなので、内容をコピーして添付しますね。 そして、新たに今の想いを追記いたします。 《過去ブログより》挫折だらけの人生。それでも私は生きている。 《2018.11...
ただ生きることがキツい
私は、52歳。
いろいろあって、今があります。
- 20代の後半、転職に失敗
- 29歳、地元愛知県を離れて長野県松本市で寮に入って働く
- 31歳、抑うつ状態と診断される
- 地元愛知県安城に戻り、療養
その後は、なかなか働けず、ようやく42歳でアルバイトに出るようになっても、勤務先が閉店して退職(44歳)。
しばらく職を転々とし、46歳のときに、手芸店にパート勤務するようになりました。
それが、ようやく慣れてきたところで、お店が閉店。
48歳のときでした。
ただ同じ年に、勤務していた手芸店の、別の店舗に再雇用してもらえ、再び働くことに…。
ところが、更年期症状で身体がキツくなり、1年で退職しました。
私は、元々体力がなく、疲れてすぐにダウンしていました。
抑うつ状態になって以降は、生きていくだけで必死。
働くようになっても、出勤した日はなんとか仕事をこなすけれど、帰宅後はダウン。
休日はぐったり夕方まで眠り、次の勤務日には、なんとか起き上がって勤務。
再び、ダウンするという生活でした。
今でも、ギリギリで生きている感じです。
「生きるのって、なんでこんなにキツいんだろう…?」と思っていますよ。
生き方を変えたくて、セラピストに
働いて、ダウンして…。
そんな暮らしを変えたくて、私は生きる道を模索しました。
資格を取って、フリーでできることがいいな~と思ったのです。
お勤めに出るのは、もうつらかったから。
そして縁あって、カラーセラピーを学ぶ機会を得ました。
2019年6月(47歳)でした。
《なぜ、カラーセラピーなのか?》
それは、ホームページの『カラーセラピー色ココロ』に書いていますので、ぜひそちらをお読みくださいませ。
セラピストとして生きるのだから
とにかく、日々を生きるのに必死。
だから、ネガティブな感情に支配されてしまうことが多かったです。
そのため、視野が狭くなっていました。
それでも、カラーセラピストとして生きる。
そう心が定まってからは、ネガティブな感情とどう向き合うのかが、私の課題でした。
本を読んだり、心理カウンセリングを受けたり…。
もちろん、カラーセラピーも活用していますよ。
それから、江原さんのラジオや著書は、心の支えです。
そして、紆余曲折の出来事も、《経験と感動を積んだ人生の宝物》と思えるようになりました。
今でも、葛藤することがあります。
でも、「私はカラーセラピスト」。
セラピストとして生きるのだから、自分の課題を一つずつ解消しなきゃね~と、向き合い中です。
もがいた経験を宝として
順風満帆な人生を歩んだ人には、もがいて生きてきた人の気持ちは理解できないと思うのです。
もちろん、人それぞれ経験が違いますし、考え方や捉え方、感情、受け流し方が違います。
だから、理解したつもりになってはいけないのは、当然。
それでも、苦悩して、もがいた経験は、相手の苦悩を想像する一助になります。
私は、「わたしの人生の中で、積み重ねてきた経験と感動」が、セラピストとしての宝だと思っています。
カラーセラピスト歴5年の未熟者。
でも、もがいた経験も加えて、カラーセラピストとしての味にしています♫
ではでは、お読みくださりありがとうございます。
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